ありのままの自分で

Cubaseでオリジナル曲を制作する、定時の仕事を持つ妻と三匹の怪獣達との万華鏡。

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蝉時雨に心は時雨れて


蝉時雨の季節が来ましたね

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子供の頃
蝉の捕まえ方をようやく覚え、それが面白くてたまらないということで
籠に入りきらないほどの蝉を捕まえた

家に帰りつくと母がそれを見て「可哀想だよ」と言う

先日「家の中に入れたらうるさいよ」と言われたばかりの僕は
母が何か別の策を練ってきたものと身を構えた

「蝉はね。何年も土の中で暮らし、
ようやく外に出ても1週間しか生きられないんだよ」

僕はその言葉の真偽を確かめるべく図書室に行った
母の言うことに間違いはなかった

確かに、いくら脱脂綿に砂糖水を含ませて飼育を試みても
あっさりと死んで籠の底に転がっているのが不思議だった
カブトムシやクワガタムシと比べていたのだ

僕はその日を最後に蝉は捕まえなくなった

当時は夏休みの宿題で昆虫採集の標本を作る者も多く
ナフタリン臭のコルクボードにまち針で飾り
片羽だけを飛ぶ姿のように広げるのがルールで
名札をいかに小さな字で書くかも競われた
このレベルの標本には目にしたことのない蝶もいて
その美しい羽はため息を誘った

一回りも小さな、それも段ボール箱で作られたチープなものでも
クレヨンで派手にデコレートした大胆な標本の強者もいた
どちらも感動と驚きがあって人気を得ていた

僕はそんなことにも興味を持てなくなった
確か小4の夏である


今年も蝉時雨が暑い夏を演出するのだが
どこか時雨た気分で聞く者がいても、それはそれでいいじゃないか


子供の頃の小さな命への様々な残酷な行為を今は悔いてはいない
僕はあの日に小さな魂にも心を寄せることが出来るようになったと思う
罪を背負うことで優しくなれる心がある
そういうことを学んだのが蝉なのである
水責めの蟻でもなく、足をもがれたバッタでもなく
生きたまま完全解体されたカブトムシでもない


 
追伸:昆虫採集は立派な研究であり、それを否定するものではありません

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テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

*** COMMENT ***

NO TITLE

色々思い出してしまいました...

子供って 残酷かもしれません....

無知ゆえの残酷さというか
経験が少ない分現実的想像力の欠如といいますか..........

5歳くらいまではとんでもなくひどいこと
してたような気がします

痛み、苦痛、悲しみは 想像力や思いやりを育てるために
必要な経験なんだなあとつくづく思います

いや。。話が脱線してすみません。。。。。。。

REACHさんへ

信じられないくらい綺麗に伝わっています。
これは書き手冥利に尽きます。
捉えてくれたREACHさんの視点にも感心します。

ゆとり教育の中で生きる強さを失い、いじめ対策(人権学習)で失った自己、、。
時々ですが、そういう見方をしてしまいます。
机上論で大人が刷り込こんだものは本当の意味で人を育てたのか?
私は他愛もないこうした経験を積み重ねて得るものと思うんです。
けして手とり足とり教えられるものではないと思うのです。

アイデンティティ、「自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中
に保持される概念」とwikiにも書かれていますが、人間としてだけでなく、
生き物として、有形の物体として、意思を持つ細胞の集まりとして、、、
そういう尺度で時々考えながら昆虫や花や自然との関わりを感じる。

難しい話をするつもりはないので、、ちょびそういうこと言った奴がいる。
その程度で、お流しください、、、。(笑)

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